苦痛について。
魔法が解けた。
どこまでも行けそうな、なめらかな足取りは
燃料切れの車のように反応しなくなっていた。
みるみる減速していく。
集団は遠くなり、追い抜いたランナー達が次々抜いていく。
「ここが踏ん張りどころだ!」気持ちを込めるが
重くなった足ではそうも続かない。
5分/kmを超えたとき サブスリーは無理だと思ってしまった。
可能性がないと気づいた時、身体は全く動かなくなる。
そこからレースでなくなった。
次々と追い抜かれていく中で思う。
これ以上走っていて意味があるのか?だらだら走っていても怪我するだけじゃないのか?それより練習が足りなかった?調整ミス?ペースが速すぎたんだ!巻き返せる?走れ!前のランナーについていけ!足が痛いんだ無理だ!!
走ることの最も苦痛な瞬間は間違いなくここだ。
心身共に最悪状態だからだ。
久々に味わった。攻めて走るとこうなる。だけど必要なのかもしれない。
現に練習メニューを見直している。練習のモチベーションも上がった。
挑戦には失敗がつきものだ。そこからどうするかだ。
memo
・JOG走行距離を延ばす。(最重要!)
・疲労抜き(重要!)
・4m35s/km(E)でのJOG
・3m49s/km(T)での閾値向上(20min走)ポイント練習な!
・筋トレ
・大会エントリ
ファンはシリアスへ。
趣味で走っているランナーは2種類に分けられる。
ファンランナーかシリアスランナーかだ。
今回はシリアスランナーに一度はなった方がいいという話。
自分はこれまで、シリアスランとファンランの両方を行ってきた。
部活の陸上では速くなるために、社会人のトレイルラン、マラソンは楽しむために走ってきた。
そして今はサブスリー達成のために走っている。
ファンランナーとシリアスランナーの違いは、速くなるためにトレーニングし考えることをやったかやらないかだ。
シリアスランナーのトレーニングすること、考えることは成長を飛躍的に促す。成長とは速くなることと走ることへの理解だ。
この成長は、ただ走ることをより楽しくさせる。シリアスなのに楽しいのだ。
ファンランだけでも楽しいが、それでは半分の楽しみしか味わっていない。
トレーニングと走りへの理解で得られるものは感動的なのだ。
趣味のランニング、どっちでもいいの確かだが、今はトレーニングすら楽しい。部活の時には無かった感覚だ。
ファンランナーは、一度シリアスランナーになり自分の走りと向き合ってほしい。
ここまではファンランナーに対して書いてきた。
シリアスランナーにはこの言葉を送ろう。
「走りを楽しめているか?」
練習時間について。
時間は有限だ。
このことに最近まで気が付かなかった。
人生に使える時間は限られているのだ。
一週間のうち、練習に使える時間は何時間あるだろうか。
一人暮らしや仕事があると、練習に好きなだけ時間を
使うことは難しい。
1日に2、3時間も練習に時間を使うことはできないのだ。
そうしたらどれだけの時間を練習に使えるのか?
平日に30分、休日に1時間を捻出したとして
一週間なら4.5時間、1か月なら18時間だ。
1か月間の割合で見てみよう。
1か月の練習時間の割合は18/744=2.4%
どうにか捻出したのに2.4%しかない!
さすがに少なすぎやしないだろうか。まともに練習できている気がしない。
十分走ってるって? だめだ今より速くなりたいのだ。
この状況を打開するためにも
①時間を増やす。
②短時間で効果の高い練習をする。
ことを考える必要がある。
「通勤を徒歩から自転車にしたら往復で20分作れるぞ。」
「残業やめよう。」
「短時間で効果を上げるなら坂道ダッシュか?」
色々思いつくはずだ。
今の状況に甘んじて、少ない時間でなんとなく練習していてもだめだ。
考えろ。
時間を作り、高密度にするのだ。
それがいつか結晶になるはずだ。